7月4日、但馬ふるさとづくり大学地域づくり現地講座が朝来市山東町の与布土地域で開催されました。
今回は、当日行われた講座の中から現地散策の様子をお届けします。
スタート地点は、「高齢者活力創造センター」です。
当センターは、平成26年4月に旧与布土小学校を活用して開設されました。
朝来市シルバー人材センターと朝来市健康福祉大学が入居し、朝来市の高齢者福祉の拠点施設となっています。
また、屋上には太陽光発電設備があります。
平成26年、兵庫県から「エネルギー自立のむら」に認定され、災害時に住民が電気を利用できるようになっています。
粟鹿山を源流とする「与布土川」です。
非常に水がきれいなので、夏にはホタルが乱舞し、上流の奥山付近には、オオサンショウウオやヤマメなどの希少な淡水魚が棲んでいるとのことです。
今日は、雨の影響で少し川が濁っているようです。
農家レストラン「百笑茶屋 喜古里」さんです。
山崎家の築150年以上の茅葺き屋根の古民家を活用し、地産地消、都市農村交流拠点施設として開設されたものですが・・・
その一方で、歴史的に貴重なものも残されていました。
それは、幕末期の歴史的な出来事と深く関係があるそうです。
1863年、尊皇攘夷を掲げ生野代官所を占拠した「生野義挙」が起こりました。
山崎家の子孫が参加したことで、共に参加した与布土の農民が幕府から処分されることを避けるため、自らの邸宅に傷をつけさせ、共謀していない証拠とさせたという言い伝えが残っています。
今でも梁などに残る傷跡が、当時の様子を物語っています。
「喜多垣観音」さんは、戦国時代の竹田城と深く関係があるそうです。
羽柴秀長が竹田城を攻め、落城が近づいたとき、奥方と腰元たちが観音像を持って落ち延び、力尽きて与布土の山崎家に預けたとの村の言い伝えがあるそうです。
その後、山崎家はお堂を建立し、今日に至るまで地元の人たちが参拝しているとのことです。
今日は、時間の都合などで観音堂まで行くことができませんでした。
ちなみに、写真は、登り口に設置されている看板です。
西来寺のふもとにある「よふど温泉」の小字の地名は、「極楽」です。
これは、西来寺に参拝すると極楽往生を約した御札がもらえ、「極楽の里」と呼ばれるようになったことに由来しているとのことです。
また、「よふど温泉」は、農村の原風景に溶け込み、緑に囲まれた露天風呂からの景色が美しいと大変好評をいただいているとのことでした。
「照福こども園」さんは、自然豊かな与布土の地域環境を活かし、地域全体が遊び場で、自然遊びから心を育む保育をされているとのことです。
照福こども園さんに入園させるため、移住される方もおられるようです。
与布土が一望できる「衣笠山」です。
戦国時代に山名四天王と呼ばれた竹田城主太田垣氏の命により山頂に城が築かれました。
「衣笠城」は、竹田城の出城として、丹波からの敵の侵入に備える見張り役を担っていたとのことです。
今日は、雨上がりのため、衣笠山の山頂を見ることができませんでした。
「やくの麺業」さんです。
昭和9年創業で、地域資源である粟鹿山水系の天然水を使った麺づくりやニーズに応じた小ロットの別注麺の開発に取り組まれ、令和元年度、但馬産業大賞を受賞されました。
与布土地域自治協議会の方の案内で、60分くらいの散策でした。
与布土地域では、歴史遺産や言い伝えなどが大切に残されていました。
また、地域の未来を守る様々な取り組みをされていることを知ることもできました。
与布土地域自治協議会の皆様、ありがとうございました。
今回の散策コースから少しはずれますが、
旧与布土小学校から300mほど梁瀬方面に歩くと、ポケットパークに野面積み?のような塀を見つけました。
説明看板もなく、地元の方に話をうかがうと、道路整備の際、古い庄屋跡に残っていた川塀を今の場所に移設したとのことです。
竹田城の石垣は、野面積みという技法で築かれており、この古い川塀も竹田城と何かゆかりがあるのでは?と思わせるような出会いでした。
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