豊岡市但東町に昭和初期に整備された隧道があります。西野々地区と太田地区をつなぐ僅か22mのこれ以上ないほどのローカルな隧道です。しかし、ここは当時の両地区住民の熱い思いのこもった隧道で、今は静かに眠っています。
昭和初期まで西野々と隣村の太田は、愛宕神社のある小山で隔てられていました。今でこそ近くに自動車道がありますが、太田小学校に通う子ども達の通学や、荷物を運ぶ車力とよばれる大八車も傾斜のキツイ峠越えをしていたそうです。住民の熱い思いが叶い、資母村の事業として完成した隧道は全長22m、幅4mのそんなに大きくない隧道。しかし、当時の地域住民にとってこの上ないほどの喜びであったそうです。
西野々側と同様に、入口周りは石が使われキーストーンまで取り付けられた立派な隧道。
隧道入口近くに金網入口があり、こんな道を5~6分歩いて愛宕神社にお詣りしました。
太田地区側からは四方但東町の東里ケ岳が展望できます。標高は663.7m。山頂直下に東里地区の氏神さん跡のある山です。
先に述べましたように小さな集落間をつなぐ長さ22mの小さな隧道ですが、「但馬の近代化遺産」にも取り上げられた立派な歴史遺産です。