兵庫県美方郡新温泉町にある諸寄地域。
江戸時代から明治時代にかけて、日和山で西風をさえぎる地形を生かし、北前船の「風待ち港」として栄えた港町です。
2018年(平成30)、新温泉町が日本遺産『荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落』として追加認定を受けたことをきっかけに、再び注目を集めています。
それでは、北前船の「風待ち港」としての面影を残す穏やかな漁村・諸寄を散策してみましょう。
スタート地点であるJR山陰本線諸寄駅駅舎です。
1912年(明治45)、山陰本線京都出雲間が開通した時には、諸寄駅はありませんでした。
1931年(昭和6)、久邇宮殿下(くにのみやでんか)が避暑に来られるということで、夏限定の仮停車場が造られ、1938年(昭和13)、一般駅に昇格しました。
写真の駅舎は、一般駅に昇格した年に建設されました。
諸寄駅を出て、右手に2分ほど歩くと、龍満寺が見えてきます。
龍満寺は、曹洞宗のお寺で、代々高僧を輩出する「馬北(但馬北部)の鬼道場」として全国的に知られています。
また、日本遺産の構成文化財にもなっており、1820年(文政3)に難破した北前船の船員の供養をおこなった記録が残っているとのことです。
龍満寺を出るとすぐに、高架下をくぐります。
この煉瓦造りの高架は、山陰西線が1911年(明治44)に開通した当時と変わっていないそうです。
煉瓦造りの高架下をくぐり、2分ほど歩くと左折します。
ちなみに、このまま真っすぐに進むと浜にでます。
まちのいたるところで浜につながる真っすぐな路地があるのは、諸寄の町並みの特徴といえるかもしれません。
左折するとすぐに右手前方に篠原無然の生誕地碑が見えてきます。
篠原無然は、諸寄の出身で、「飛騨聖人」と呼ばれた社会教育者です。
諸寄には明治期に活躍した教育者や歌人、日本画家などを輩出しており、まちのあちらこちらで顕彰する石碑を見ることができます。
北前船により全国の文化が諸寄に混流し、新たな文化の創造に影響を及ぼしたといわれています。
篠原無然の生誕地碑から少し歩くと八坂神社社務所が見えてきます。
八坂神社社務所には、北前船の船主が航海安全を願って奉納した船絵馬が保存されています。
なお、船絵馬のレプリカは、諸寄基幹集落センターに展示されていますので、お時間のある方は、お立ち寄りください。
ちなみに、当センターでは、諸寄地区の先人や廻船などに関する展示をしています。(定休日:水曜日)
八坂神社社務所を出て、正面の細い路地を少し歩くとT字路に突き当たります。
そのT字路を左折し、しばらく歩くと、突き当たりにゲストハウス東藤田邸があります。
ゲストハウス東藤田邸は、廻船問屋として栄えた築130年の家屋を宿泊と多目的施設にリフォームされたものです。
日本遺産の構成文化財にもなっています。
ゲストハウス東藤田邸を出て、左手に少し歩くと、集落を抜けて、諸寄漁港セリ場に出ます。
ここでは、朝8時から威勢のいいセリを見学することができます。(ただし、土曜休み)
また、7月に行われる為世永神社の例祭で麒麟獅子舞が奉納される会場となっています。
諸寄漁港セリ場を出て、右手に5分ほど歩くと、為世永神社に到着します。
為世永神社は、西側の山の斜面を削って築かれています。
急な112段の石段を上ると、全国の船主や廻船問屋が寄進した玉垣や灯籠・狛犬があります。
航海の安全を祈願する船乗りたちの信仰を集めたことがうかがえます。
こちらも日本遺産の構成文化財になっています。
こちらの石灯籠には、「明治十八年六月吉日」「越後直江津 信濃増五郎」と記載されています。
北前船の航行がさかんだった江戸時代、明治時代に現在の新潟県上越市近辺と交流があったことがわかります。
玉垣には、「越前国」や「肥前国」などの名前が刻まれています。
北前船の交流の広さを知ることができます。
先ほど通った道を折り返し、諸寄漁港セリ場を過ぎると、目の前に諸寄の白浜が広がっています。
花崗岩質を含む砂浜は、「雪の白浜」と称され、古くは西行法師の歌にも登場しています。
「見渡せば 沖に絹巻 千歳松 波諸寄に雪の白浜」
また、背後にある山の上には、芦屋城跡があります。
室町から戦国時代にこの地を治めていた塩冶氏が居城していた標高175mの山城で、別名「亀ケ城」と呼ばれています。
日本海を眼前に断崖絶壁に囲まれた城は、天然の要害となっており、海上交通を押さえるために築かれた城といわれています。
諸寄の白浜沿いに5分ほど歩き、信号のある交差点を渡ると、今回のゴール地点である前田純孝の歌碑に到着します。
前田純孝は、「東の啄木、西の翠渓(純孝の号)」と並び称された明治末期の歌人です。
歌碑は、1969年(昭和44)に村の有志によって建立されたとのことです。
最後の1枚は、ゴール地点から徒歩で20分ほどの距離にある城山園地展望台から撮影したものです。
写真右手の日和山で西風をさえぎり、諸寄港が北前船の寄港地としていかに優れていたのか分かる1枚です。
また、城山園地は、夕陽の名所としても知られており、日本海に沈む夕陽は絶景です。
北前船によって全国の文化に触れ、多くの文化人を輩出した諸寄。
港を囲むように家々が密集した町並みや風待ち港として栄えた穏やかな雰囲気が今も残り、ここでしか体験することのできない趣のあるまちです。