仲の良い山仲間と共に、山ではなく明延、神子畑、生野の鉱石の道を5時間で探ってきました。歴史ある鉱石の道をこんな短い時間で全部を理解できるはずありませんが、過去に何度も探っている場所なので今回は観光パンフなどに余り現れていない場所を含めて散策してきました。そのためメインの場所はある程度カットしている事をご容赦下さい。それでも画像の数が多すぎますが・・・鉱石の道<生野+新井>については別発信していますので、併せてご覧ください。
明延鉱山から神子畑までの約6キロを運行していた一円電車の実物。赤金号など他の車両は、ここ明延と神子畑、生野鉱山などに分散して保存されています。正式名前は「明神電車」です。
坑道探検は有料で事前予約が必要です。坑道出口はこれより少し山の上にあります。坑道からレールが出ていてすぐ前の川手前で切れていますが、何なのか私は判りません。これを含めて鉱石の道には単なる観光では判らない場所がいっぱいあります。
木造の社宅と鉄筋コンクリート社宅があります。昭和30年代鉱山最盛期は、約700戸の社宅4000人以上の住民が生活していたそうです。
他に自然学校、タバコヤさん、鉱山産出の銅でつくられた梵鐘のあるお寺など見どころは多々ありますが、ここから途中秋に入ったばかりの山の景色を観賞しながら(運転手様は景色を見るどころではありませんが)県道6号線→国道429号線を通って神子畑に向かいました。
昭和62年、明延鉱山の閉山とともに閉鎖されました。現在残されているのは選鉱場土台のコンクリート跡で、設備の極一部が残されているそうです。左上にインクラインとよばれるレール跡があります。上に小屋がありますが、その左側から明延発の鉱石が運ばれてくるのではないかと思います。今月31日(日)~11月7日(日)、17:00~22:00の間ライトアップされます。観に行きたいですね。
選鉱の後の不純物を処理する装置で、中に機械の一部も残されています。
神子畑川を横切る「神子畑鋳鉄橋」国指定重要文化財に指定されています。鉱石を生野鉱山の精錬所に運ぶための輸送用道路の上流に架けられた橋です。ここまではメインの観光ポイントですが・・・
神子畑川に沿って生野鉱山までの輸送軌道18キロ、川の左岸右岸を辿って生野まで運ばれる軌道があったと思います。観光パンフに鉱石の道との説明がありますが、そのルートを理解する明確な「物・残骸・跡」が私にはよくわかりません。
日本遺産の旗がたてられていますから軌道跡の隧道なんでしょうか。距離はありませんが、この道を少し回り込んだ所に同じ蓋をした隧道跡があります。
この後生野方面に向かいました。画像が多くなりますので別投稿とさせてください。
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取材:2021年10月10日