鉱石の道探索の明延・神子畑の続きです。情報量が多くて生野近辺はこちらから発信。と言っても今回は生野鉱山には行っていません。ここからまだ立ち寄り先を予定していますので、こんな所を探検しました。
路地の両側に焼き杉板を張りめぐらした落ち着いた町なみ。左側が旧浅田邸、右側が旧吉川邸、いづれも生野銀山に関わる郷宿です。旧吉川邸は現・「生野まちづくり工房井筒屋」さんで、生野のまちづくり活動の拠点となっています。
生野の町を走っていた馬車軌道を廃止して、市川右岸にアーチ型石垣を積んで川に張り出して500ミリ線路がつくられました。生野鉱山と生野旧駅を結び、鉱石を運ぶ電車軌道です。
旧浅田邸地域内で線路は途絶えていますが、多分線路は生野鉱山まで今は草むらになっているこの続きを走っていたんだと思います。間違っていたらご容赦下さい。
明治28年に播但鉄道として生野~飾磨間が開通し、鉱石は鉄道運搬になったとおもいますが、それまでは「生野鉱山寮馬車道」(銀の馬車道)の のどかな田園風景の中、金銀銅の鉱石は飾磨港までの73キロを運ばれたと思います。
上の画像は鉱山開発に寄与した朝倉盛明の名前から付けられた「盛明橋」です。銀の馬車道はここから市川左岸を通って飾磨まで鉱石が運ばれます。
突き当りを右に折れます。しばらく走ると国道312号線に出る信号があります。ふるさと特派員初期メンバー活動時代に数名で「銀の馬車道」を姫路まで探索した事がありますが、その道のほとんどは国道312号線に変わっています。
生野の町なみの随所に綺麗なマンホール」蓋が見られます。
これは現在のJR播但線新井駅です。駅舎に向って左右にすごく広い空き地があり、現在は有料駐車場になっています。どうして新井駅だけに、寺前駅より広いこんな空き地があるのか? 有料で駐車する車の需要があるのか? と
やっと判りました。精練のための鉱石をJR播但線(当初の路線名はこれではないと思いますが)で飾磨へ運ぶため、神子畑からの鉱石をここに集結した広場のようです。「神新軌道」と言う説明がパンフにでてきます。羽渕だとおもいますが三菱の鉱石の精錬機能が香川県直島に移り生野が廃止になったため、そのことへの対策で新規に軌道がつくられたようです。
生野の方に向いています。きっと向かって右の少し広い所が「神新軌道」新井終点でしょうか。そのすぐ右が先ほどの広場です。
廃止になった羽渕ー生野間軌道の田路川にかかっていた鋳鉄橋がこの橋のようです。移設されて今国道312号線沿いの道に設置されています。
今回は春に足を怪我した山仲間のリハビリをみんなで応援しようとした鉱石の道探索です。まだ応援が続きます。「鉱石の道探索」は疑問を持つほどむつかしい不明点が出てきますが、それほど歴史に深みを感じます。記述した内容に間違いがあればご容赦下さい。
今回、仲間と共に鉱石の道を足早に探索してきましたが、春夏秋冬綺麗な景観を楽しむ事ができるとともに、その時代の住民の生活や文化など垣間見ることができ、また中瀬鉱山を含んで但馬のみならず日本の近代化に深くかかわったきたことを改めて痛感する探索でした。何度も訪れたい鉱石の道です。
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取材日:2021年10月10日