駅サプリ・JR山陰線「佐津駅」周辺は人々の祈りが静かに息づいていた
駅からレンタサイクルや列車に自転車を輪行して行くことのできる見どころ情報をお送りする「駅サプリ」。
(サプリは補足という意味です。「たじま途中下車の旅」を”個人的に”補足し、またお読みくださる皆さんの心の栄養補給の足しになれば幸いです。)
第10回はJR山陰線「佐津駅」です。(たじま途中下車の旅「海辺の民宿街とクロマツの群生する砂浜、佐津・訓谷を歩く」を先に見てね)
佐津駅を降りて表の道路に出ると、北向きの無南垣の海岸につながる道があります。金毘羅大権現の石碑を過ぎ、駅から150mほど行くと長谷寺があります。山号は「海音山」。いかにも海辺のお寺様です。
「途中下車の旅」で紹介されていた沖野神社の裏側ある兵庫県指定重要有形文化財「石造五輪塔」は、文安元年(1444年)時の長谷寺住職慶成律師が建立したものです。また沖野神社の裏側の海の音が聞こえるという「海音岩」。長谷寺さまの山号と同じですね。何か関係があるのでしょうか?
一見、新しそうなクリーム色の龍宮門が出迎えてくれますが、「香美町寺社建築調査報告書」によると19世紀中期に建立された山門です。
白い前掛けを付けた地蔵菩薩。その足元には赤い帽子をかぶった子供がしがみついています。子供らの成仏を祈って建立されたのでしょうか。それにしても、かわいいお尻。
長谷寺をそのまま道なりに北上し、無南垣の一番奥まで行くと八幡神社があります。階段を頑張って上ると社に到着します。ちなみにこの階段横には沢蟹がたくさんいますよ。
こちらの神社も彫り物が良いですね。社殿の正面に取り付けられた木鼻の獅子、普通は正面を見ていますが、こちらのは体をひねり下を見て、参拝者と目がバッチリ合います。悪いことはできません。
一旦佐津駅まで戻ります。佐津川の右岸に、非常に分かりにくいのですが山際の水路の脇に細い小道があり、駅から約1.3㎞の所に六地蔵の摩崖仏があります。小道からは説明看板しか見えませんので、まずは看板を探してください。細い橋を渡って山の中に踏み分け入ると、大きな岩に掘られた六地蔵を拝することができます。
看板には、町指定文化財であること、室町時代に造られたと推定されること、豊岡や竹野に行く街道辻に造られたことなどが書かれています。500年以上前に、道行く人々の道中の安全を祈って造立され、ずーっ、、と見守っておられる地蔵様です。
今度は小道を出て、佐津川の対岸にある九斗の集落に入ります。集落の入り口に、きれいな花がお供えされている石仏群を左に見て、そのまま奥へと進むと兵主神社があります。その社殿の脇には大きなイチョウがあります。地面には一杯実が落ちてました。昔は実を拾って食べましたなあ。今はたまに酒のあてに食べてます。
寺社にイチョウを植えるのは、葉っぱが火に強く燃えにくいので、防火のためと聞いたことが有ります。
もう一度、駅方面へ戻り訓谷地区へ行きましょう。
佐津地区公民館の前庭にある立派な松の脇に「沖野大神宮御神體漂着地之碑」があります。
「途中下車の旅」には「沖野神社は、鎌倉時代後期、隠岐(島根県)に流された御醍醐天皇が3体のご神像を海に流し、その1体が、現在の佐津地区公民館のあたりまであった浜に打ち上げられ、祭神としてお祀りしたと伝えられています。」とあります。
後醍醐天皇は、元弘元年(1331年)、元弘の乱で討幕を計画しますが失敗し、翌年、隠岐島に流されました。
潮に流され、風に吹かれ、遠く隠岐島からここまでご神像がやって来ました。今はすっかり陸地ですが、700年ほど前は海だったんでしょうねえ。
さて、次は但馬漁火ラインを東に走り、駅から約2.5㎞の安木浜を目指します。道中の景色がいいですね。下の岩を見ると網目模様になっています。溶岩が冷えて固まる際にできる柱状節理の一歩手前でしょうか?(すいません、よく知りません) 安木浜もきれいで、海が青いですねえ。
安木には、人と鯨のつながりと感謝の祈りを込めた鯨の供養塔があります。
石碑には「天明二壬寅年 寄鯨供養・ 二月廿六日 施主村中・」と彫り込まれているようです。(下側は埋もれて読めません)
以下は、「ジオパークと海の文化館」HPを参照させていただきました。
天明の大飢饉と呼ばれた江戸時代後期、安木村の沖合に鯨が流れ着いてきました。不作続きで飢餓に苦しんでいた村民は、貴重なたんぱく源である鯨を村へ運ぼうとしました。ところが隣の訓谷村と取合いになり、村を挙げての大喧嘩になりましたが、久美浜代官所の裁定により安木村のものとなりました。飢餓から救われた村民は、その鯨に感謝の気持ちを込めて慰霊碑を建てましたとさ。
佐津駅の周辺には、祈りが息づく人々の暮らしがあります。皆さんもいかがですか?
但馬はいつでも、旅人を迎えてくれます。
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