愛宕山は円山川の右岸にあり、円山川と豊岡盆地を一望する位置にあります。右に来日山、中央に豊岡の市街地、左に六方田んぼが広がっています。
鶴城(愛宕山)は「山名四天王」のひとり国人、田結庄氏の居城であった、
永享年間(1429年~1441年)但馬守護山名宗全による築城ある。
天正3年(1575年)10月おこった野田合戦で垣屋豊継らに攻められ
城主、田結庄是義は善提寺(旧)正福寺で自害した。
元和5年(1619年)城跡に愛宕大権現を勧請、別当寺として宝城寺が
おかれた、豊岡城下の辰巳にあって歴代領主家の祈願所となった。
明治以後、宝城寺は廃止され、代って愛宕神社が置かれた。