神話、龍宮城、そしてキューピットに出会う、ファンタジーなひと時を皆さんに!(写真の撮影日はまちまちです)
出石神社に祀られている天日槍は、もともと新羅の王子さまでした。美しい玉が変じたこれまた美しい妻と仲良く暮らしていましたが、喧嘩をして妻は先祖の国(日本)に帰ってしまいました。天日槍は八種の神宝や製鉄などの優れた文化をたずさえ、妻を追って日本に、そして但馬にたどり着きました。水害に苦しむ但馬の民を救わんがため、瀬戸の岩山を鉄の道具で切り開き、大きな沼地を肥沃な大地に変えたとさ。(だいぶ要約と私見が入っているかも)
一説には、その切り開かれた跡がここ!、津居山と瀬戸の間の水路ともいわれており、神話と神秘を感じます。が、もともとの原因は夫婦喧嘩だったとは、、何とも身近なお話でした。
水路の先端にあるのが蛭子神社です。ここからは日本海が良く望めます。鯛をかついだ福福しい恵比寿(蛭子)様に大漁をお願いされるのでしょうか。舟の錨が奉納されています。
山門横の建物(鐘撞堂?)が特徴的な浄土宗のお寺様です。
ホテル金波楼様のHPによると、、
1754年、近所の火事によって全焼してしまいました。早く再建したいのですが資材が揃いません。困っていると、海岸に『但馬の国瀬戸頂福寺様へ』という札をつけた外国の木がたくさん流れ着き、この木を使ってお寺を再建しました。当時、外国の木で作ったお寺は大変珍しく『唐木の寺』として、遠く、大阪や京都からもお参りがあったそうです。
不思議なお話ですね。
境内には仏様がお祀りされています。左はお体に割れが入っています。また右はすっかり風化して棒のようです。長い時間をかけて人々を見守ってこられた仏様、それを大切にしてこられた地元とお寺様、何だか心が響きあっているようです。
頂福寺様の横の坂道を上がると、海の遠くに龍宮城が見えます。右の屋根に多少の傷みが見えますが、女官ばかりで手が足らないのでしょう。浦島太郎が直さないのなら私が行って直してあげたい。お代は”鯛やヒラメの舞い踊り”ということで、、
夕刻の日本海です。上の写真の右側は城崎マリンワールドですね。私が子どもの頃、乙姫と浦島太郎の寸劇があり、海女さんが海に投げ入れた盃を、潜って拾い上げるショー(?)がありましたね。
下の写真で遠くに見えるのは丹後半島だと思います。
道路を走っていると、錆びた看板があります。よく見ると「ヨゴレババ古墳」と書いてあります。汚れ婆って、なぜその名前を付けたかなぁと思うのですが、漢字の当て字が違うのかな?前に一度、見に行ったことがあるのですが、途中で道がなくなり、断念しました。
田久日区の近くには、才の神古墳もあります。
田久日、宇日の漁港です。瀬戸から海岸沿いの道路を走ると難なく着けますが、道路の無い時代は大変だったでしょうね。平家落人伝説も残っています。
「犬道(けんどう)」と呼ばれた危険な道を、安全な県道にとの地元の熱い思いが兵庫県知事に届き、自衛隊の命がけの工事、重い燃料を運び上げる地元の協力などによって、昭和40年、但馬海岸道路として開通しました。
詳しくは、但馬の情報誌「T2」VOL.62【挑戦者たち『但馬海岸道路』】から
こちらもきれいですねえ。お、おー。下の写真の左に見えるのは、、
愛のキューピットです。どー見ても、誰が何といってもキューピットですねえ。西日をバックしにして、黒いシルエットになっています。
頭の先端には猫崎灯台があり、遊歩道がついているのですが、お腹ポッコリの頂上まで上らなければならないため、私は二の足を踏んでいます。
ゴールの竹野浜です。新聞にも出ていましたが、地元の方々の努力により、浜辺のごみが取り除かれ、これから訪れる海の季節を待っています。愛のキューピットのお膝元で、今年はどんな恋が芽生えるのでしょうか?