兵庫県養父市にある養父市場。
江戸時代には、出石藩へ向かう分岐点に位置することから、大名の参勤交代が通る山陰街道の宿場町として栄えた町です。
また、但馬牛の集散地としても有名で、かつての牛市には町が一変するほどの賑わいをみせていたそうです。
それでは、江戸時代からの宿場町の面影を残し、鯉の里として知られるまち・養父市場を散策してみましょう。
なお、養父駅編は、駅から見どころの多い養父市場まで距離があるので、時間と体力に余裕がある人向けのコースです。
スタート地点であるJR山陰本線養父駅駅舎です。
1908年(明治41)、和田山-八鹿間の開業時に途中駅として誕生しました。
当初は、養父市場の中心地に近い大薮橋南側に駅を設置する計画でしたが、用地の確保が難しく、現在の堀畑になったそうです。
ただし、駅名は堀畑駅ではなく、当初計画のとおり養父駅となりました。
山陰本線でも木造の駅舎が残っているのは珍しく、レトロな雰囲気が漂います。
また、待合所の切符を買う窓口・受付台・壁の表面を飾る張り板などは、いずれも開業当時の姿のままです。
建物には「駅本屋 明治41年3月」というプレートが貼り付けてあります。
ホーム東側の線路は当時貨物用として使われ、2本のうち1本が現在も残っています。
以前の養父駅は貨物の取扱量が多いことで知られており、昭和40年代まで養父市場の牛市で買われた子牛が一度に貨車50台に積み込まれ送り出されたそうです。
また明延鉱山などの鉱石が積み込まれたり、養父郡で生産された木炭の出荷基地にもなっていました。
1940年(昭和15)には日曹鉱業という鉱山会社が大屋鉱山と夏梅鉱山の鉱石を運搬する専用貨物ホームを建設しました。
養父駅を左手に出て10分ほど歩くと、グリーンパーク円山川グランドゴルフ村があります。
4コース各8ホールのグラウンドゴルフ場です。
グランドゴルフ村を出て5分ほど歩き、円山川と山に挟まれた区間を通行します。
ここからは円山川や川向かいの右岸道路など、のどかな風景を見渡すことができます。
ちなみに、川向かいに小さく見える緑のとんがり帽子のような建物は、道の駅やぶです。
また、右岸道路では春になると約1km続く桜並木が見事です。
踏切を渡ると養父市場までもう少しです。
踏切から5分ほど歩くと写真のT字路に到着します。
ちなみに、ここを右折して8分ほど歩くと道の駅やぶに行くことができます。
T字路の角に山陰街道の道標があります。
道標には「右、京・大坂・はりま 左、いつし(出石)」と彫られています。
江戸時代に大名の参勤交代が通った、出石藩へ向かう分岐点であることを示しています。
山陰街道の道標から3分ほど歩くと西念寺に到着します。
入口には江戸時代に作られた大きな五輪塔や宝篋印塔が並んでいます。
1864 年(元治元)7月から翌年4 月までの間、幕末の志士、桂小五郎(後の木戸孝允)は出石に潜伏していましたが、幕府の追っ手や新撰組が出石まで探索に来たため、峠を越えて西念寺に移り、寺男に姿を変えて潜伏したと伝えられています。
鐘楼の横には、明治維新の功労者である長州藩士・桂小五郎(後の木戸孝允)を顕彰する石碑があります。
桂小五郎の窮地を救った但馬の遺跡として現在まで語り継がれています。
西念寺を左手に出ると「名物鯉料理」の看板が目に留まります。
今は営業されていませんが、養父市場と鯉とのつながりを物語るものの一つです。
養父市場は鯉の養殖で有名なまちです。
円山川の豊富な水量、程よい酸素・養分を含んだ水質、養蚕が盛んで鯉のエサとなる蚕のサナギがふんだんにあったことなど、好条件がそろい良質の鯉を育んだそうです。
養父市場が参勤交代の大名が泊まる宿場町として栄えたころ、鯉料理が郷土料理として振る舞われました。
西念寺から3分ほど歩くと宿場町の面影を残す町並みを見ることができます。
その町並みの中心となっているのが、旧本陣屋敷で、出石藩や豊岡藩などが参勤交代の際に利用した宿泊所です。
旧本陣屋敷の向かい、コミセンやぶの前に1本の石柱が建っています。
この石柱は1747年(延享4)に、出石藩の領地である養父市場村と、生野代官所が支配する江戸幕府の領地である堀畑村との領境に出石藩が立てたものだそうです。
領境石と呼ばれるもので、「従是北出石領」という文字が彫られ、出石藩の領地を示しています。
また、高さ170cmの石柱の下から1m付近で折れているため、鉄骨の枠で補強されています。
旧陣屋屋敷から3分ほど歩くと平山牛舗さんに到着します。
平山牛舗さんは、松阪牛・神戸牛など、ブランド和牛の素牛である但馬牛などを取り扱うお肉屋さんです。
但馬牛のお肉取扱高は但馬地域でも有数との人気ぶりで、確かな目で厳選されたお肉をお土産にいかがでしょうか。
営業時間 9時00分〜18時30分
定休日 日曜日(祝日は営業)
町中を流れる水路は、円山川の清流を引き込んだ用水路で、この水を庭の池に引き込んで鯉を飼う風景は養父市場特有のものです。
また、このようにして鯉を飼うことを『コイの溝飼い』と言うそうです。
以前は、家の軒先で溝飼いが盛んに行われていましたが、今では、多くの池は埋められ、数えるほどになっています。
平山牛舗さんの庭にある池は数少ない中の1つで、色鮮やかで立派な鯉を見ることができます。
ちなみに、全国に普及している墨の交じった「黒ダイヤ」系の品種は、養父が発祥の地です。
「黒ダイヤ」という鯉は、養父市場の双葉養魚さんが生み出した品種です。
写真は双葉養魚さんで特別に撮影させていただいた1枚です。
集落を抜けて、山と線路に挟まれた道を進みます。
時折、山陰線の電車が通ります。
平山牛舗さんから8分ほど歩くと養父神社に到着です。
神社の参道には道沿いの階段を上って入ります。
かつては円山川沿いの山陰街道から大鳥居まで一直線に伸びる参道がありましたが、1908年(明治41)の山陰線の開通により神社の参道が削られ、階段で神社の参道に入るようになったそうです。
養父神社は、但馬五社のひとつに数えられる神社で、古くから「養父の明神さん」と呼ばれ、農業の神として地元の人に親しまれてきました。
4月中旬には養父神社のお神輿が約20km離れた斎神社まで巡行するお走りまつりが行われます。
また、兵庫県下でも有数の紅葉の名所としても有名です。
養父神社には狛犬と狼の石像があります。
稲荷神社はキツネですが、養父神社では狼がシンボルになっています。
田畑を荒らす猪や鹿から作物を守る益獣として、狼を守り神にしているそうです。
農神として崇められた養父神社の祭礼日に牛市が開かれたのが、養父市場で行われる牛市の始まりとされています。
境内には養父市場と諸国の博労(ばくろう・仲買人)が寄進した江戸中期の石灯籠が現在も残っています。
江戸時代末期の養父市場には186戸の家があり、その中で63人が博労として牛の売買の仕事をして大変賑わっていたそうです。
写真は、「恋昇鯉(こいのぼり)」という、鯉の形をした恋のみくじです。
釣竿で鯉を吊り上げ、鯉のしっぽに入った「おみくじ」で恋の行方を占うそうです。
鯉の里にある神社ならではの「おみくじ」ですね。
白壁や土塀、格子や化粧壁が施された重厚な趣のある民家と、昔ながらの店構えが残る商店が交錯する養父市場。
幾多の時代をさまざまな人が行き交い、数々の歴史を刻んできた町並みが、ゆっくりと時をさかのぼるように当時の様子を思い起こさせる町です。