兵庫県朝来市生野町にある口銀谷(くちがなや)。
開坑は807年(大同2)と伝わり、日本有数の鉱山として栄えた生野銀山の鉱山町として発展してきた町です。
また、地元の方によると、「口銀谷は田も畑もなく、サラリーマン所帯が軒を連ねた但馬でも特殊なまち」だそうです。
それでは、鉱山の歴史と文化の息づく町・口銀谷を散策してみましょう。
スタート地点であるJR播但線生野駅東口駅舎です。
東口駅舎は、1895年(明治28)に建てられ、1960年(昭和35)に改築されました。
徒歩で散策される方は、東口駅舎から出発しましょう。
西口駅舎は、2009年(平成21)に新設された駅舎です。
木造平家建て、銀山町をイメージさせる外観となっています。
とりわけ、復元された生野瓦が目を引きます。
生野瓦は、温度差の激しい気候にも耐えられるように高温で焼いた赤褐色の瓦で、生野の町を彩る特徴のひとつです。
駅舎内には朝来市観光情報センターがあり、生野周辺の観光パンフレット、朝来市のおみやげ物、竹田城跡や生野銀山関連グッズを入手することができます。
また、ここでレンタサイクル「銀ちゃり」を利用できます。
銀ちゃりで散策される方は、西口駅舎から出発しましょう。
営業時間 9:50~16:40
定休日 12月28日~1月3日
レンタサイクル料金 500円
東口駅舎を出ると左手に旧日下旅館があります。
1910年(明治43)に建てられたもので、1921年(大正10)、木造三階建てに増築されました。
当時、姫路から城崎までの間に三階建ては2軒しかなかったそうです。
現在は国の登録文化財になっています。
駅前ロータリーを出て左手を道なりに歩き、突き当りを右折し、最初のT字路で左折します。
しばらく歩くと、但馬基点一里塚趾があります。
一里塚は、街道筋の距離を表した標識です。
1640年、但馬と播磨の国境を基点として、金山のあった中瀬(養父市)及び遠阪までの間に、一里ごとに榎や松などを植えた塚を築き、距離が分かるようにしたそうです。
駅前ロータリーから6分ほど歩くと、大きな交差点に出て、右手に生野書院が見えてきます。
生野書院は、大正期の材木商の邸宅を改修した旧家の面影を残す郷土資料館です。
古文書や書画などの文化財をはじめ、生野町絵図や銀山旧記など、貴重な史料が保存展示されています。
入館無料
開館時間 9:30~16:30
定休日 毎週月曜日(月曜が祝日の場合は翌日)及び12/28~1/4
また、入口には明治初期に鉱山長を務めた朝倉盛明氏の官舎正門が移設されています。
生野書院を出て右手に幅広い道路を道なりに2分ほど歩くと、左手に観光駐車場が見えてきます。
その観光駐車場の隣りにそびえ立つ巨大な石碑が、生野義挙の石碑です。
幕末に生野代官所を舞台に繰り広げられた倒幕運動で、明治維新のさきがけとなった歴史的出来事を後世に伝えるために建立されました。
明治維新発祥の地の一つといえるかもしれません。
交差点に戻り、前方の但陽信用金庫のある交差点を左折します。
左折して少し歩くと、右手に旧生野警察署があります。
旧生野警察署は、お雇い外国人の宿舎である異人館をまねて、地元の大工がつくった左右対称の擬似洋館風建築で、1886年(明治19)に建設されました 。
現在も地区の公民館として活用されています。
ちなみに、正面の軒瓦下に残されている生野の旧町章は、カタカナのイの字9個とノの字1個を組み合わせて、生野が表現されていますので、要チェックです。
旧生野警察署を出て右手に真っすぐに進み、突きあたりまで歩くと寺町通りに入ります。
全国から多くの抗夫が集まった町らしく、さまざまな宗派の8つのお寺が建立されています。
お寺の塀などにカラミ石が多く使用されて、生野の銀山町特有の町並みを演出しています。
カラミ石は、鉱石から金属を取り出す過程で、上に浮いた比重の軽い岩石の成分を固めたものだそうです。
100 年前の資源リサイクルとも言えるもので、岩石と金属がミックスした独特の輝きが、生野のまちなみに重厚さと個性的な彩りを添えています。
左手にお寺の石垣を見ながら進み、金蔵寺で右折し、国道429号線まで道なりに坂を下りていきます。
ちなみに、金蔵寺には、第2次世界大戦中の金属類没収から免れた、1267年(文永4)鋳造の珍しい銅鐘があります。
国道429号線に出ると、但馬銀行の隣に佐藤家住宅別邸があります。
佐藤家住宅別邸は、江戸時代に郷宿と掛屋を兼ねた建物です。
住宅建築としては珍しく重厚な土蔵造りで軒裏に塗り込みが施された耐火構造になっているそうです。
また、軒下と道の間に大阪出格子が設けられ、生野では珍しい特徴的な建物になっています。
ちなみに、江戸時代、生野銀山町では旅人の宿泊が禁止されていました。
生野には代官所があったため、 訴訟などで滞在せざるをえない人の宿として6軒の「郷宿」があったそうです。
また、「掛屋」は、代官所の出納業務を請け負っていました。
佐藤家住宅別邸を出て、左手に3分くらい歩くと旧生野鉱山職員宿舎に到着です。
旧生野鉱山職員宿舎は、日本で最初に建てられた通称「甲社宅」と呼ばれる鉱山官舎・社宅です。
明治の近代化政策により、生野鉱山が日本初の官営鉱山となると、政府の役人が赴任してきました。
その後、三菱に払い下げられると、東京本社などから赴任してくる社員の住宅として利用され、当時最新の文化が持ち込まれたといいます。
棟ごとに異なる時代に復原されており、明治から大正、昭和にかけての風呂やかまど、建具などの生活様式の変化を比べることができます。
入館無料
開館時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
定休日 毎週月曜日(月曜が祝日の場合は翌日)及び年末年始
また、幼少時代をこの社宅で過ごし、後に黒澤明監督作品に数多く出演した名優・志村喬の記念館も併設されています。
志村喬記念館である甲7号棟は、志村氏が幼少期を過ごした大正期の造作に復原されており、当時の暮らしの雰囲気を感じることができます。
旧生野鉱山職員宿舎は、白漆喰の土塀に囲まれ、口銀谷の町家とは異なる趣があります。
国道429号線沿いに写真奥の角まで歩くと・・・
生野瓦でつくられたかざり瓦を見つけました。
昔からの言い伝えで、お正月の初夢で見ると大変縁起が良いとされる「一富士、二鷹、三茄子」にあやかって、宿舎の土塀にかざり瓦が使用されたそうです。
旧生野鉱山職員宿舎を出て左手に進み、国道429号線を横断して真っすぐに進みます。
突きあたりを右折し、少し歩くと生野クラブが見えてきます。
生野クラブは、1886年(明治19)に当時の大山師の邸宅として建てられたもので、生野では珍しい立派なうだつがあります。
但馬の古い町並みではよく見られる「うだつ」がほとんど見られないのも生野地域の特徴です。
ちなみに、山師とは、江戸時代に代官所から鉱山の採掘権を与えられた経営者のことで、経営規模の大きい山師を大山師と呼んでいたそうです。
生野クラブの塀沿いにある写真を目印に左折します。
この写真の塀沿いにある背の高い木製の構造物は、「会所」と呼ばれるものです。
山から引いた水を圧力調整しながら周囲の家庭に分配するための装置だそうです。
板で覆われた会所は、板塀や町並みと調和して口銀谷独特の雰囲気を醸し出していますね。
左折後、道なりに少し歩くと、銀山町の趣のある町並みに出会います。
町並みを眺めながら歩いていると、左手に口銀谷銀山町ミュージアムセンターがあります。
口銀谷銀山町ミュージアムセンターは、生野の歴史にゆかりの深い浅田家と吉川家の古民家を活用したものです。
昭和初期の和風建築と大正期のタイル貼り洋館が独特の雰囲気を醸し出しています。
休憩所として、生野の町並み散策の途中に立ち寄ることができます。
営業時間 9:00~17:00
定休日 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
料金 無料
口銀谷銀山町ミュージアムセンターの中庭からは、市川の渓流、トロッコ道、姫宮神社の参道橋を同時に撮影できるオススメのスポットです。
口銀谷銀山町ミュージアムセンターを出て左手に少し進むと、左手に姫宮神社の駐車場があります。
駐車場を通り、姫宮神社への参道橋から市川を見ると、見事なトロッコ軌道跡を眺めることができます。
昔、生野銀山から生野書院あたりまで鉱石を運ぶトロッコが通っていた線路の軌道跡です。
ゆっくりとアーチを描きながら積み上げられた高い石垣。
姫宮神社周辺に連続するアーチは、日本の近代化における土木構造物として高く評価されているそうです。
ここからの風景もオススメの撮影スポットです。
元来た道を戻り、口銀谷銀山町ミュージアムセンターの向かい側が、今回の散策のゴールである生野まちづくり工房井筒屋です。
生野まちづくり工房井筒屋は、江戸時代に巡見使などの要人が泊まった「郷宿」を活用した町づくりの拠点と休憩処を兼ねた施設です。
ここで町案内の申し込みやゆっくりとお茶を楽しむことができます。
生野紅茶クッキーのふるまいや手作りの小物の販売もあり、地域と人との温かい交流が魅力のオススメスポットです。
営業時間 9:00~17:00
定休日 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
料金 無料
井筒屋さんを見学していると、庭で珍しいものを見つけました。
石で作られたオオサンショウウオです。
生野地域を流れる市川にはオオサンショウウオが多く生息しており、井筒屋さんは「オオサンショウウオがすむ町」としてPRに力を入れています。
このことを地元の石材卸業者が知り、井筒屋さんに寄贈されたそうです。
今も鉱山の歴史と文化の息づく口銀谷地区。
赤みがかった生野瓦や黒いカラミ石など生野特有の風情あるまち並み。
昔にタイムスリップしたかのような感覚を体験できる町です。
生野駅までの帰り道は、鍛冶屋町通りをおススメします。
国道429号線を駅に向かって歩く途中、右手に但陽信用金庫のある交差点を左折すると鍛冶屋町通りです。
かつて生野銀山の坑夫が手掘り作業に使用する鑿(のみ)を造る鍛冶職人が多く住んでいたことから鍛冶屋町通りと名付けられたそうです。
この通り沿いにも、当時の銀山町の趣のある町並みが残っています。
日本初の産業高速道路といわれる「銀の馬車道」は、生野銀山から国道429号線を経て、この鍛冶屋町通りを南下していくルートとなっています。
終点は姫路の飾磨港で、そこから船で鉱石などが運ばれていきました。
また、トロッコ道の案内矢印に従って細い路地を抜けると・・・
細い路地を抜けると、正面にかなり古そうな水路橋が目に入ってきます。
市川対岸の神社横にある用水路の水を口銀谷の町内へ送るために架けられたもので、建築時期は不明だそうです。
また、姫宮神社への参道橋から見たトロッコ道を散策することができます。
道なりに歩いていくと、口銀谷銀山町ミュージアムセンターの中庭に到着します。
時間のある方は、本編とは違った町並みを散策されてはいかがでしょうか。