4月14日に但馬で残っている火祭りの一つ、御柱(おとう)祭りが日高町松岡の川原で行われました。御柱(おとう)松と呼ばれる枝着きの松に女竹(鉄砲竹)などを用いて鉢を作り、先端に御幣と老婆に似せた人形を仕立て焼き捨てる行事です。
この行事の由来は承久の乱(1221年)で北条方に破れ、流された後鳥羽上皇の皇子六条宮雅成親王の配所現豊岡村高屋まで、身重の身ながらも慕われてはるばる都から下られた妃幸姫が松岡の里まで辿り着かれました。土地の老婆に道を尋ねたところ、「配所の高屋まで七日かかる納屋、九日かかる九日市、十日かかる豊岡、その先は人をとる一日市を越えたところ」と言われて、絶望し川に身を投げた妃の霊を慰めるため命日に行われます。
尊いお方の但馬配流という史実と旅の途中出産時に川に身を投じて亡くなった王妃の慰霊という悲劇伝説。この時期南風が吹き増水被害があり、疫病や害虫を退散させる為焼き殺すという豊穣祈願伝説。この両面があると言われますが、但馬の火祭りの中でも奇祭として知られています。
この行事は松岡の産土神「十二所神社」(妃を祀っている)の祭礼として行われますが、かっては旧国府村のうち上郷・府市場・土居・芝の4ヵ所でも行われていました。