- 2026/08/28
- 養父市
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藤堂高虎の子孫である「藤堂和泉守 」の文字を刻む
- 養父市教育委員会 教育部 歴史文化財課
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養父市教育委員会 教育部 歴史文化財課
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- 向 秀樹
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養父市大屋町加保にある法華寺の山門の正面に
「加保山」と書いた山号額が掲げられています。
法華寺が 2026 年 4 月に山号額を修理するため山門から外したところ、
裏面に「伊賀國主勢州安濃城居藤堂和泉守家中櫔尾源左衛門善寅居」 という文字を発見し、
市の調査による結果、藤堂高虎に関係する資料の一つと判明しました。
法華寺の山門の正面上部に「加保山」と書いた山号額(縦54㎝、横114㎝)は、
2026年4月に表面を彩色によって修理しましたが、裏面は当初の状態です。
「伊賀國主勢州安濃城居 藤堂和泉守家中櫔尾源左衛門善寅」という文章は、
「正徳6年(1716)閏2月、伊賀国主である伊勢国の安濃津城(津城の別名)の
藤堂和泉守の藩士である栃尾善寅が寄進した」と解釈しています。
この藤堂和泉守とは、初代藩主の藤堂高虎ではなく、
第 5 代藩主の藤堂高敏を指しています。
高虎は津藩32万3000石の藩祖にあたります。
法華寺は栃尾家の菩提寺であることから、
栃尾善寅が栃尾祐善などの先祖供養のために山号額を寄進したものと考えられます。
山門(薬医門、切妻造屋根)の正確な建築年代は、棟札がないため不明ですが、
木材に刻まれた絵様(えよう)という渦巻状の彫刻から判断すると、
18世紀前半頃の特徴があります。
こうした年代的な整合性を考えると、
「奉寄進」とは、山号額だけでなく山門を合わせた寄進であると推定しています。
藤堂高虎は、天正9年(1581)、羽柴秀長から
但馬国養父郡において 3000 石の領地を与えられ、
養父郡大屋庄(現在の養父市大屋町付近)を治めました。
高虎は、加保の地侍である栃尾祐善(初代)の屋敷に別館をたてて屋敷とし、
ここで一色義直(美町町美住区中野)の娘である
久芳院と結婚したと伝わります。
栃尾祐善の子孫である栃尾善寅(栃尾家第 5 代、加保村の農民、地侍)は、
先祖の由緒書を持参して津藩に仕官を願い出ました。
元禄2年(1689)11月1日、合力米40俵4人扶持、大小姓役で仕官しました。
この時の藩主は藤堂高虎の孫にあたる第 4 代藩主の藤堂高睦です。
栃尾善寅は藤堂高虎が大屋庄を治めたときに、
高虎を支えた恩人の子孫として津藩に採用されています。
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