但馬最南端の生野古城山。
標高601にある主郭(本丸)跡。
「♪古城よひとり何しのぶ・・・♪」の懐かしい歌にふさわしい城跡となっています。さして広くないその本丸跡には今こんな大岩があります。
過日、「但馬ふるさとづくり大学」で講義された生野銀山史談会事務局長の海崎陽一先生のお話の中に、この生野城跡がありました。
存在はともかく、余り現地の情報がないため行ってきました。
行ったのはいいのですが、これが大変。中腹のナルイところまではいいのですが、それより上は夏草が生い茂り、道なき道を歩く事になります。
中腹から山頂を望む
山頂
二の曲輪跡から本丸を望む(左・クリックで大きくなります)
播磨を望む展望(右)
15世紀、但馬守護職の山名氏が当時の足利将軍の命をうけ、播磨の守護職の赤松氏を討つ為の拠点とすべく建てた山城の跡。赤松氏が将軍に謝罪したため、結局討伐は行われなかったようですが、右の遠景はその播磨です。
主郭(本丸)跡の様子です。(動画)
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矢弾の跡はありませんが、
「栄華の夢を胸に追い あぁ昔を語る主郭跡・・」
の心境に浸りながら、登ってきた道の下山の苦労を覚悟する
ひと時でした。
登山口の「びわの丸健康公園」の案内看板です。
図にある二の曲輪と主郭以外は行っていません。夏草が生い茂り、道が不明の上マムシが生息していそうなためあきらめました。
登山の詳しい内容は、ふるさとの情景「生野古城山・奮戦記」をご覧下さい。