此隅山城跡(このすみやまじょうせき)は、室町幕府の四職家で最大級の大名であった山名氏が但馬の国に築いた山城である。
永禄12年(1569)に織田軍の木下秀吉の侵攻により、この此隅城は落城した。その後ふたたび山名氏が築いた城がこの山の南2、5Kmにある有子山で天正2年(1574)のこと。
しかし天正8年(1580)再度、織田軍の羽柴秀長の但馬侵攻によって有子山城は落城した。
現在残る城跡は標高140mの此隅山山頂に主郭を設け、これを中心に四方
にのびる尾根に多数の曲輪跡が残っており、山麓には宗鏡寺、大手門、お屋敷などの地名が残っており、かって城下町が存在していたことを伝えている。
山頂からの360度の展望です。歳末の但馬の山々が遠望できます。
今日の山頂は、冬らしい強い突風が吹いておりました。