12月13日、竹田城跡の麓の法樹寺裏側、赤松広秀居館跡推定地で石垣発掘調査の現地説明会が行われました。
赤松広秀の供養塔、竹田城最後の城主で1585~1600年の15年間、家康の忌避にふれ鳥取真教寺で自刃、37歳。
史跡・竹田城跡は、赤松広秀により総石垣の主郭が整備された、日本屈指の山城です。
2004年(平成16年)に発生した台風23号によって古城山および竹田城下町は甚大な被害を受けました。
土石流は赤松広秀居館跡推定地を抜け、広秀の供養塔を避けるような形で居館東南隅石垣を破壊しました。
朝来市では、この石垣について保存・修復を図ることとなり、その前に発掘調査が行われました。
説明は朝来市埋蔵文化財センター館長 田畑 基 氏です。ここの石垣までが国史跡の範囲に入ります。
赤松広秀居館跡推定地、その奥の山が古城山で頂上に竹田城跡の石垣があります。
この場所は竹田城跡二の丸から眼下に眺めることができます、殿様はここで日常生活をしていた推定居館跡です。