コウノトリの古い写真は絵葉書などに見ることができる。「鶴山」、「鶴の巣籠り」などとして、明治後期から戦前にかけて数多くの絵葉書が発行されている。当時の様子が伺える貴重な生態写真である。ただ、残念なのは、撮影日時が不明確なものがほとんどであることだ。消印があるものは大まかな時期を推定することはできる。撮影場所については多くが出石の鶴山(豊岡市出石町細見(桜尾))である。一部に田鶴野のものもある。こちらは豊岡市野上帯雲寺の裏山に昭和6年に巣をかけ、茶店もできていた記録が見られるので、その時期のものかもしれないがはっきりしない。
中には正確な撮影時期が分かるものがある。小谷卯之助という方が明治37年(あるいは38年)に撮影された写真がある。もしかすると、場所と年代が分かるコウノトリの写真としては最も古いものかもしれない。日露戦争の捷利を紀念して、当時の室埴村役場より「日露戦捷紀念鶴巣籠之景」として、皇室や将軍、作家など著名人へ送られたものである。
「日露戦捷紀念鶴巣籠之景」の存在については、昨年の11月30日に農文協より発刊された、佐竹節夫著「コウノトリと暮らすまち」を読んで知ることができた。実はこの写真と同じ原板から作られたであろう絵葉書の存在は知っていた。以前よりネットオークションに出品されていたのだが、出石鶴山の絵葉書はすでに数多く入手していたため、購入を控えていたのである。佐竹氏の本のおかげで、撮影時期の分かる貴重な写真であることが判明し、今回慌てて入手したのである。買い手がつかないため、既にオークションからは撤退されていたのを出品者に問い合わせ、年の瀬も押し迫った12月20日に入手することができた。
日露戦争は明治37年2月の開戦から38年8月まで、「征露の役が起きるや老松に巣を掛けた」とのことであるから、この写真は明治37年か38年初夏の巣立ち前の光景と考えられる。
一見雛は3羽に見えるが、よく見ると雛が4羽おりその上を親鳥が力強く羽ばたいている。巣立ち前の雛が4羽いるということは、周辺の餌環境が潤沢であることを表している。
コウノトリの郷公園の前の祥雲寺巣塔では3羽までしか巣立ったことがない。雛が4羽生まれても1、2羽は育たない。当時の出石鶴山周辺では、コウノトリは4羽の雛を育てるに十分な餌を確保することができたということだろう。
コウノトリの巣籠りや子育てを大勢が見物に訪れ、茶店がにぎわい、その後、大阪方面からはツアーができたことは、コウノトリ関係者の間では有名な話である。
少し話はそれるが、かつて「コウノトリ」は「ツル」と呼ばれていた。ツルとコウノトリは外見がよく似ている。そのため、「昔はツルとコウノトリとは混同されていた」という説明がされている。このことが意味することは、平たく言うとコウノトリは文化的にはツルそのものだったということである。コウノトリという呼び方が一般に広まったのは昭和30年代以降の保護活動が本格的になって行政やマスコミが盛んに使うようになってからであり、それまで彼らは「ツル」そのものだったのである。首の長い白と黒のおめでたい大きな鳥であるツルが、これまたおめでたい松の木に巣を掛けて子育てをして、日露戦争に勝利した。「日露戦捷紀念鶴巣籠之景」は全国に、ツルの巣籠りフィーバーを引き起こした。
こちらは明治42年の絵葉書、「記念 第八回但丹六郡聯合蚕業共進会 明治四十二年九月二十四日」というカイコと桑の葉の図柄のスタンプが押されている。
こちらは明治45年の絵葉書。表面には明治45年元日の消印が認められ、名古屋市の帽子製造卸問屋から知多郡大府町の加藤さんに出された年賀状。この時代、松にツルの絵葉書がおめでたい図柄として全国区で用いられていたことが分かる。
この写真を含め、明治から戦前の発行されたコウノトリの絵葉書をコウノトリ文化館の学習室に展示しています。興味のある方はご覧ください。多くはアルバムに保管しているので係員にお尋ねください。
「日露戦捷記念鶴巣籠之景」は撮影時期のわかる貴重なコウノトリの生態写真です。同じく戦前のコウノトリや風景などが写っている写真、絵葉書などは、当時の状況を記録した貴重なものかもしれません。もしお持ちの方で処分を考えておられる場合は情報提供をお願いします。