豊岡市出石町市街地の東側に入佐山公園があります。標高20mくらいの入り口から50~60mほどの入佐山に階段や散策道が整備され、どなたでも気軽に散歩ができます。写真を撮りながらゆっくり20,30分程歩いた後、出石町谷山の別の入り口に降り、今度は寺社などを見て回りながら出発地に戻ります。全行程1時間ほどでしょうか。
以下は出石まちづくり公社HPより。
「源氏物語にも入佐山を謳った歌が詠まれたほか、生野銀山・城崎温泉とならぶ「但馬三名所」に数えられていた、歴史的意義のある名所なのです。徒歩で10分ほどで登ることができる頂上からは出石城下町を一望できる、隠れた出石の展望スポット」
県道寺坂柳線を出石高校に向かう左手に入口看板が立っています。その左には光明院の看板。春に訪れると紅白の椿や大きな桜が彩りを添えています。
少し急なのは最初だけで、後はゆったりとしたものです。行程をつうじて幾つか分岐がありますが、看板がかかっていますので迷いません。
あっという間に展望台に着きました。誰もが訪れる出石城跡からの眺めとは、また違った趣があります。東西に延びる道の両側に、豊岡市出石伝統的建造物群保存地区に選定された町並みが軒を連ねています。
辰鼓楼(写真・右上)、出石城跡前のびっ蔵(写真・左下)、感応殿と出石城跡隅櫓(写真・右下)が見えます。
散策道のあちらこちらに入佐山を読み込んだ歌碑が設置されています。今回は行っていない道もあるので、たぶんこの他にも歌碑があると思います。左上から順番に、
梓弓 はるの気色になりにけり 入佐の山に霞たなびく
あづさ弓 はるかにみゆる白雲は 入佐の山の桜なりけり
山をいでて うき世をめぐりまた山に 入佐の月や身の類なる
鹿はなき 月は入佐の山かつら かゝる木のすへの秋そさびしき
狩人の 夏の夜ふかくいるさ山 ともしのかけの みへみゝへすみ
時鳥 鳴いて入佐の山の端の 月ゆえよりも恨めしきかな
古文が読めない私には、ちょっと分かりにくい。ネットで調べると、、
入佐(いるさ)は射る(いる)につうじているので弓や狩人が出てくるようです。また入佐山は月の歌枕としても使われていました。
散策道沿いにある古墳を見て回り(2号古墳はどこかな?という感じ)、谷山区にある登り口に到着です。ここからは先の入り口に戻るため、まち中をほろほろ歩きながら散策します。
頂上に木を生やかした茶臼山古墳です。明治の初め、頂上部を耕作中に石室の一部が壊され、人骨や刀が発見されたが埋め戻されたと伝えられ、昭和47年に測量調査が行われました。直径49m、高さ7mの三段築成の大円墳で、幅15mあまりの周濠を有することが確認され、北但馬の古墳時代中期を代表する大型古墳とされています。(参照:ザ・たじま)
モミジの青葉、苔むした橋の脇にコスモスが揺れています。
橋のすぐ下に吉祥寺があります。出石では珍しく、山門に仁王像が立っています。右の仁王さん、よく見ると「オッケー」サインを出されています。
何かお悩みがあれば、ここに行かれるがよろしかろう。心配ないよ、オッケー問題なし!と仁王様に励まされます。
吉祥寺の道路を挟んだ反対側には、石部神社があります。前にもご紹介しましたが、樹齢1000年と伝わる大ケヤキがそびえています。1000年前といったら平安時代、藤原道長が栄華を謳歌していたころです。その時代から生きているのですよ。
谷山川沿いにぶらぶら歩いて出発地に戻ります。
川沿いには、東京大学初代総理、加藤弘之の生家(写真・左上)、旧京街道の守りの寺として配置されたとも伝わる砦のような佇まいで、代々の出石藩主の帰依を受けた経王寺(写真・右上)、前にもご紹介した化粧地蔵(写真・左下)、城内の稲荷神社は年に1度しかお参りできないため、庶民がいつでもお参りできるようにと建立された岩鼻稲荷神社(写真・右下)等など、見どころ沢山です。
これから入佐山の紅葉も色づき始める季節、ほつほつ・ぶらぶら歩きにはもってこいですよ。