但馬の小京都と呼ばれる出石城下町に残る伝統産業といえば「出石焼」です。
出石焼は、白磁(白い磁器)が特徴で、全国の陶磁器産地でも白磁を特徴としているところはほとんどありません。
「白」を生かすため、染付などではなく表面を削って彫る技術が伝わっています。
そんな出石焼が雪よりも白いといわれる「白」を追求した大きな理由のひとつに原石の陶石が大きく関係しています。
今回は、出石焼の原石である「柿谷陶石」が採掘される柿谷鉱山を探ってみたいと思います。
↑但馬國出石観光協会前に置かれている陶石
柿谷鉱山は、出石高校から少し奥に行った谷山という地区にあります。
この日は、山陰海岸ジオパーク推進協議会のモニタリング調査が入るということで
所有者の方の許可を得て特別に取材させていただくことができました。
柿谷陶石の採掘は、日本陶料株式会社という京都市にある業者が行っており近年も採掘しています。
ここで採掘される陶石は、とても質が良いとされ、出石だけでなく、京都の京焼や清水焼でも上質な陶石として取引されています。
坑道からはひんやりとした風が吹いてきます。
坑道内は、少し背の高い大人が頭をかがめて歩くくらいの高さです。
外は、蒸し暑い季節ですが、中は天然のクーラーがきいていて、とても涼しいです。
細い坑道を100mほど行くと開けた場所に突き当たります。
ここでは大人が十人くらい余裕で入れる広さとなっています。
この場所でダイナマイトなどで発破が行われ陶石を採掘しているとのことです。
坑道内には陶石がそこかしこに落ちています。
外側は茶色に変色していますが少しハンマーで割ってみると
このようにきれいな白い断面をみることができます。
柿谷陶石は、柔らかく壊れやすいため細工に向いているとのことです。
この写真は、出石明治館に展示されている明治期につくられた出石焼ですが
とても複雑な彫刻が施されています。
このような彫刻が可能になったのも陶石によるものが大きいかもしれませんね。
地面には、かつてトロッコがはしっていたであろうレールの跡もありました。
坑道は縦横無尽に張り巡らされており、奥深くまでありそうですが
危険もあるため引き返すことになりました。
この柿谷鉱山は普段は立ち入り禁止になっており、施錠されているため入ることはできませんが地元の小学生が地域産業を知るため訪れるなどの教育活動も安全に配慮したうえで行われているとのことです。
柿谷鉱山近くの谷山川沿いでは、このような丸くかたい石を見ることができます。
これは、陶石を加工するときに使う石で、陶石と一緒に入れて機械で回すと、固い石にすりつぶされて粘土になるとのことです。
かつてこの辺りに、陶石を加工する加工場があったことがうかがえます。
この石は、オーソコーツァイトという石でこの辺りでとれる石ではなく、日本では飛騨地方にしかないとのことです。
また柿谷鉱山の近くには、もう埋められてしまっていますが鶏塚鉱山という名前の鉱口跡も見えます。
この鉱道は、出石で碍子(がいし)が製造されていたころ(平成5年ごろまで)に使用されていたものだそうです。
※碍子とは…電線を支柱などに絶縁固定する陶磁器製の器具。
このようにこの一帯には、陶石の鉱脈があり江戸時代から続く出石焼産業の歴史を支えてきました。
またこれらの鉱脈は、数千万年前の火山活動による流紋岩であり山陰海岸ジオパークのジオサイトになっています。
但馬では、山陰海岸や神鍋山などがジオパークとしてイメージされがちですが、地域の産業と深く結びついた地質資源として出石にあるジオパークも、より知られるようになるといいですね。