日本遺産の認定や、GINZAN BOYSなどで注目を集めている生野の街中に訪れました。
生野の街は、明治時代の近代化で、鉱山、工場、鉱石輸送路、水路、職員住宅などが一体的に開発された珍しい鉱山町で、現代の街並みにもその影響が色濃く残り風情のある景観となっています。
朝来市旧生野鉱山宿舎は、そんな産業遺産のひとつであり生野に現存する鉱山職員住宅の中でも最も古いものです。
その中の一角が、地元出身で昭和を代表する名優・志村喬さんを顕彰する施設「志村喬記念館」として開館しています。
職員の方の説明も聞くことができて、無料で入館することができます。
志村喬さんが出演された数多くの映画についての記録や資料が展示されています。
なかでも、「生きる」や「七人の侍」などに代表されるように黒澤明監督と志村喬さんの関係は特別なものだったということを記念館の職員の方から聞くことができました。
映画「七人の侍」の一場面です。
ジャニーズのあの方も、志村喬さんの映画を勉強するため何度となく、記念館を訪れているようです。
カラミ石のかけら(木片が埋まっています。)
記念館の中には、近代化産業のリサイクル品ともいえる「からみ石」がそこかしこに使われています。
【カラミ石とは】(近代化産業遺産 鉱石の道ホームページより)
銅などを製錬する時にできたカスを固めたもので、鉱滓(こうさい)といいます。地元では「カラミ石」と呼んでいます。生野鉱山周辺の家の土台や塀、水路、 公園のベンチなどで使用されています。
庭の敷石に使われたカラミ石
カラミ石の瓦
庭の敷石や、瓦などにも「からみ石」が使われていたようです。瓦は、たたくと「カンカン」と金属の音します。
生野の街中にもいたるところに「カラミ石」が見られます。
志村喬記念館から歩いてほどないところに「生野まちづくり工房 井筒屋」があります。
江戸時代、生野は一般人の宿泊がご法度だったそうですが、この建物は公用で代官所を訪れたときの宿である「郷宿」であったようです。
郷宿は、宿泊所の機能だけでなく代官所への訴状の代書や出頭の付き添いなど弁護士のような役割を果たしていたとの事です。
いろりを囲んで、生野のまちの歴史を聞くことができます。
店内で売られているオオサンショウウオグッズは、生産が追い付かないほど人気商品のようです。