人が居るところ、必ず不思議が存在します。なぜなら不思議は人が生み出すからなんですね。(ほんとかな?)
そんな、私の好きな不思議スポット、今回は津居山湾をめぐってみます。(写真は撮りためたものを使用したため、撮影日はまちまちです)
湾からの波を避けるためなのか、一段高い台座の上に、海に向かって静かに座るお地蔵様がおられます。そのお顔の表情は判然としません。
このお地蔵様は浜地蔵と呼ばれています。この地区で起こった大きな火災を何度も受け止め、くい止めたと伝わります。そのためお顔の表面が溶けたのだとか。(すごいなあ)
但馬六十六地蔵の第57番で、案内板によれば鎌倉時代の作、きれいな布にくるまれ、お花の荘厳を受けられているお姿に、信仰の篤さが伝わります。
津居山区の裏山にある八幡神社には、高さ約5.6m、市内最大級の石造遺物で、県の文化財に指定されている石塔があります。
先に紹介したお地蔵様とともに、出雲に運ばれる途中で何度もシケにあい戻ってきたため、津居山に据えられたといわれています。大きな石塔を見上げ、よほどこの地が気に入ったのかいなあ、と思うのでした。
細く伸びた道には民家が並び、津居山漁港を形成しています。湾に面した民家の裏側には梯子が掛けられ、海に密接した生活が偲ばれます。
津居山は実は!島なんですね。橋が3本架けられており、車が行き来する港橋(写真向側)の手前に、小ぶりではあるが、装飾が施された初代港橋があります。
この橋は北但大震災の復興事業の一環として架設されたもので、昭和3年に完成したと思われます。(参照:但馬近代化遺産ガイドブック)
海の景色が好きで、ちょこちょこ但馬の海岸を訪ねます。こちらは気比の浜です。静かな凪の日もあれば、波が次々と打ち寄せることも。個人的には、高波がガツンガツンとやってくる海を見ていると、心が落ち着きます。
気比の浜の一部は有料施設になっており、入場が制限されているところがあります。写真を撮りたいのだけれど申し出たら、快く入れさせていただきました。ありがとうございました。
ゾウ岩の名前を聞いた以降は、もう象にしか見えません。しかも緑の草木が長い毛を彷彿とさせるマンモス象です。
象の前には南無阿弥陀仏の石碑、横腹には但馬岬妙見の刻印。また背中には何か記念碑のようなものが立っています。(柵がしてあり入れません)不思議のてんこ盛りです。
象の鼻のところは、海岸でみられる波の浸食作用でできたものでは? つまりここは昔は海岸で、だから但馬岬というのでしょうか。
気比川の中に大きな石が居座り、そこに恵比寿様がお祀りされています。赤い橋が良い感じです。
この石はどこから来たんでしょうかねえ。わざに持ってきたとも考えにくく、川を流れ下ってきたのか、山から落ちてきたのか。祠の中の恵比寿様はフッフッフッと笑うばかりで答えてはくれません。
のんびりとした田結漁港です。地元ブランド「神水わかめ」を干しておられます。
例年なら5月にわかめ祭りが開かれるのですが、コロナの影響か、今年もなかったような、、。
集落の小山の上に八坂神社、神水神社があります。
北但大震災では、この地は震源地に近く、大きな被害をこうむりました。八坂神社では、今でも追悼のためお千度参りが行われています。
またT2、86号には、神水神社は蚕の神様をお祀りしており、蚕の天敵であるネズミ、そのネズミ除けの猫石が残る、とされています。これは養蚕が盛んな頃はあちこちであったのでしょうか、豊岡市但東町栗尾では「猫さん」の石があるようです。
神社の中を覗き込むのですが確認できません。残念!
最後の不思議は、西光寺様本堂前にある、石に刻まれた弘法大師の足跡です!!
説明石板によると、、弘法大師がこの地を訪れた際に残されたもので、これを踏むか触れると御利益がある、と当時の僧侶が説かれていたそうです。1486年に寺基を移転した際に、この石は河川の石垣に使われ、1996年の河川改修の際に掘り出され、現在地に安置されました。何たる数奇な運命をたどったことか。
さて、その足跡ですが、これは、、そうですね。足袋をはいた左足に相違ありません。サイズは不明ながら少し小さめ、細長くスリムで土踏まずは確認できません。奇瑞のなせる業です。