今駅でレンタサイクルを借りたり、列車に自転車を輪行して行くことのできる見どころ情報をお送りする「駅サプリ」。
(サプリは補足という意味です。「たじま途中下車の旅」を”個人的に”補足し、またお読みくださる皆さんの心の栄養補給の足しになれば幸いです。)
今回はJR山陰線と播但線の2路線が乗入れる「和田山駅」です。
鉄路の交差点だけではなく、近年では北近畿豊岡自動車道と播但連絡道路の交差点として、また時間を遡れば古代山陰道と古代官道がとおっており、今も昔も人と文化が行き来する交通の要衝でありました。(駅近辺の見どころは、「たじま途中下車の旅」~和田山駅編~に詳しくのっています。先に見てね。なお写真の撮影日はまちまちです。)
たじま途中下車の旅にもでていましたが、駅構内に味のある建物が残っています。1912年(明治45年)3月に建築されたレンガ造りの車庫と、給水塔です。
駅の前を走る県道104号を東進し、玉置区の山手に護念寺があります。本堂の裏には、兵庫県指定名勝・市指定文化財の庭園があります。滋賀の出身で江戸で修行し、近江や但馬地方で活躍した庭師、岩崎清光の作だそうです。
私には鑑賞眼が全くないのですが、石を複雑に力強く組み上げたその趣は、深山幽谷を表しているかのようです。
護念寺から円山川の左岸を南に下ると、枚田地区に赤淵神社があり、神社前には私の好きな伝説話の看板が立っています。アワビが沈没しそうな船を助ける、、。どこかで聞いたようなと思われた、そこのあなた。そうですね、微妙に違いますが、新温泉町の宇都野神社と同じお話ですね。
看板や朝来市のHPでは、アワビに助けられた子孫の一族の中には、現在もアワビを食べない風習が残っていると言われているそうです。(あー、あの味を御存じないとは、、)
本殿は室町時代建立で国重要文化財に、また楼門(写真上・右)と山門(写真下・右)は市の指定文化財になっています。楼門の彫刻は丹波の中井権次によるもの、山門の扉上部の鳳凰の透かし彫りや、木鼻、蟇股などの彫刻は、中井丈五郎と久須善兵衛によるもので、どちらも見ごたえ十分です。(参照:朝来市HP)
赤淵神社を北進して国道9号に乗り、交差点から西へ1.5㎞ほど行くと、2つの古墳があります。全長34.5m、三段築成、多数の埴輪が出土した前方後円墳の池田古墳、直径約36m、三角縁神獣鏡3面を含む6面の銅鏡が出土した円墳の城ノ山古墳で、とてもすごいんです。すごいんですが、現地に行ってもわかりません!!
写真上・左は古墳近くの案内看板を撮影したもので、右赤丸が池田、左赤丸が城ノ山古墳の全体像です。池田古墳は道路の下になったのであろう、城ノ山古墳は名前のとおり山にかえったかと、あきらめて帰ろうとした時、草刈りをされていた男性が仕事の手を止め、声をかけてくださいました。「案内しましょう。付いて来なさい。」
城ノ山古墳の頂上にあがり、池田古墳を眺め(写真上・右の真ん中あたり)、出土した埴輪や石板(写真下)を見せてくださいました。どうも御親切に有難うございました!!
古墳から国道9号を更に西に2.5㎞ほど行くと、和田山町出身の児童文学者、森はなさんの代表作「じろはったん」の舞台である法泉寺があります。
「ここからは、村が一目でみわたせる、、じろはったんは、この鐘つき堂の石段がすきやった。」
私もじろはったんになった気分で、鐘つき堂の石段に腰掛けさせてもらいました。境内には森はなさんの句碑「蟹追いて授業中なるに帰り来ず」も建立されています。お地蔵様も静かに微笑んでおられるようで、、。
法泉寺から円山川を渡り、県道10号を北進すると、寺内区に佐伎都比古阿流知命神社(サキツヒコアルチノミコトジンジャ)があります。こちらで是非見ていただきたいのは、山王神の使いであるお猿様が狛犬の代わりに鎮座しているところです。(狛犬もちゃんとおられます)狛犬は何か悪いものがやって来た時、追い払うのが役目でしょうに、こちらのお猿様はどんぐり(?)のようなものを手に抱え、食事中のようなまったり感が漂います。
神社から県道274号を東進すると、兵庫県指定文化財の小丸山古墳があります。全長60mで、デカいなあと思うのですが、看板を見なければ古墳と分かりません。「小丸山」の丸を取って、小山のようです。まあ、規模は違いますが、仁徳天皇陵もそばでみると、お堀のあるでっかい丘にしか見えませんからねえ。
小丸山古墳を北に向かった突き当りに法宝寺があります。天平21年(749)、行基によって創建されたといわれ、平安時代作の御本尊「薬師如来坐像」は県有形文化財に指定され、33年ごとに開帳される秘仏です。何と、今年11月まで御開帳されているのですよ。私に次の御開帳はないので、見逃せません。
写真右は県重文指定文化財で、南北朝時代の作と推定される宝篋印塔です。(宝篋印塔とは滅罪や延命などの利益、追善供養塔、墓碑塔として建立されました。)
写真左は、心諒尼にゆかりのクスノキです。1738年の百姓一揆で、心諒尼の祖父が長崎県壱岐島へ流罪となります。心諒尼は祖父に会いたい一心で壱岐島に渡り、その後、祖父の遺骨とクスノキ3本を携えて帰郷しました。その内1本が!このクスノキであると伝わっています。
和田山駅周辺には、時代ごとの優れた文化と、伝説が残るのでありました。あなたも触れてみませんか?
但馬はいつでも、旅人を迎えてくれます。
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