兵庫県朝来市物部にある青倉駅。
駅名に地名が使われることが多いですが、青倉駅周辺には「青倉」という地名はありません。
「目の神様」として知られる青倉神社が駅名の由来となった珍しい駅です。
今回は駅名の由来となった青倉神社までの道のりを辿ります。
長い道のりのため途中下車して歩くことはオススメできないので、駅から青倉神社まで歩いて参拝していた時代を想像しながらご一読いただければと思います。
スタート地点であるJR播但線青倉駅駅舎です。
1906年(明治39)に姫路駅と和田山駅を結ぶ播但線が開通した当時、青倉駅はありませんでした。
その後、沿線の水田を駅用地として無償提供するなどの地元の熱意が実り、1934年(昭和9)に青倉駅はできました。
現在の駅舎は、1999年(平成11)に建て替えられたものです。
駅が開業すると、水田ばかりであった駅周辺に衣料や食品、自転車などを扱う10数軒の商店が軒を連ね、青倉商店街ができたそうです。
今は駅の開業時に設置された郵便ポストやわずかに残る商店の看板が当時の名残を伝えています。
青倉駅を右手に出て、1分ほど歩くと大きなT字路があり、右折します。
右折後、JR播但線の高架下をくぐります。
真っすぐ進むと2022年10月に完成した「出合橋」があります。
橋を渡り国道312号線に出ると、右手前方に大鳥居が見えてきます。
この巨大な石造りの大鳥居は、青倉山(811m)の中腹にある青倉神社への参道の入口となる鳥居で、写真の角度からは鳥居の向こう側に雄大な青倉山が見えます。
ただし、青倉神社はここから7km先にあり、なぜこの場所に大鳥居が建てられたのか不明です。
神社のある谷を迷わないよう谷の入口に大鳥居を建てたのでしょうか、それとも昔は7kmに及ぶ参道があったのでしょうか。
一説には「青倉」という名前には、「険峻な山そのものが神様のおられるところ」という意味があるそうで何か手掛かりになるかもしれません。
大鳥居をくぐり真っすぐに450mくらい歩くと県道526号線との合流地点に伊由神社があります。
一説には朝来市伊由市場の式内社・伊由神社の分霊が青倉神社に祀られているといわれています。
式内社とは、927年(延長5)にまとめられた延喜式神名帳に記載された神社のことなので、伊由神社は、およそ1100年前には創建されており、古代伊由郷の中心に位置し、交通上の要所であったといえるそうです。
伊由神社の手前のT字路を右折すると金剛院があります。
金剛院では、江戸期より春の例祭として五智如来例祭が行われ、近隣の参詣者で賑わいを見せるそうです。
先ほどの大鳥居に掲げられた「青倉神社」の扁額(へんがく)は、こちらのお寺の2代前の住職さんが書かれたそうです。
伊由神社まで戻り、県道526号線を2kmくらい歩くと左手に善隆寺があります。
善隆寺の奥の院が青倉神社といわれています。
4月25日に行われる大祭当日は、青倉神社で祈祷が行われ、ふもとの善隆寺でもちまきが行われます。
山門の両脇にある石灯籠は、1670年に建てられた但馬では最も古い石灯籠のひとつとされています。
善隆寺から青倉神社までの道のりは4.6kmほどあります。
これからの道中は青倉神社にゆかりのあるものを探しながら進んでいきます。
善隆寺からしばらく進むと左手に青倉神社参籠舎改築記念碑が建てられています。
参籠(さんろう)とは、神社や仏閣などに何日間かとじこもり心身を清め祈願し修行することで、その建物が1935年(昭和10)に改築されたようです。
近くに参籠舎らしい建物がなく、なぜこの場所に記念碑が建てられたのか不明です。
川上集落のバス停付近に青倉神社に寄進された石灯籠があります。
1968年(昭和43)年に建てられたようです。
なぜ神社で見かける石灯籠が3km以上手前に設置されているか、謎は深まるばかりです。
善隆寺を出て1.5kmくらい歩くと右折ポイントに到着します。
ここからは道幅が狭く坂道の続く山道となります。
1960年代(昭和30年代)までは、多くの方が鉄道を利用して青倉神社に参拝されていました。
毎年4月25日の春季大祭の日になると神社まで続くつづら折りの坂道を多くの方が歩いていたそうです。
右手の視界が開けて、ふもとの川上集落が小さく見えます。
つづら折りの坂道のところどころに小さなお地蔵さんが参拝者の安全を見守って立っています。
現状は一定の間隔に立っていませんが、神社までの距離を示す丁石地蔵と呼ばれるお地蔵さんでしょうか。(1丁は約109m)
右折ポイントから道なりに2.4kmくらい歩くと黒川温泉の案内看板がある分岐点に到着します。
黒川温泉の案内と同じ方向の左側の道を進みます。
ここから林道青倉・黒川線に入ります。
先ほどの案内看板を少し登ったところに再び青倉神社に寄進された石灯籠があります。
黒川温泉の案内看板から道なりに700mくらい歩くとようやく青倉神社に到着します。
参道を歩いていくと左手に大きな社務所があります。
昔は参拝される方が宿泊していたそうです。
道中の記念碑にあった参籠舎とは、この建物のことでしょうか。
青倉神社は、延喜式神名帳に記載されていませんが、神名帳が作られたころには存在していたといわれる古い神社です。
古代には大きな岩などに神秘性を感じ、これを神として信仰する考え方がありましたが、青倉神社は、急峻な崖に建ち、高さ12m余りの巨岩をご神体としています。
2階建ての珍しい造りの社殿は、ご神体の巨岩を覆うように建てられています。
また、青倉神社は「目の神様」として知られ、巨岩裏の岩壁より湧き出る水は御霊水と伝わり、目の病気に効くと言われています。
昔、目にウドのトゲが刺さった父親を、親孝行の息子が心配していたところ、神様が夢枕に立ち、「岩から湧き出る水をつけると治る」とお告げをしました。息子は山々を巡って巨岩の奥から流れている清水を見つけ、それを持ち帰り、父親の目につけると、痛みが消え、目が見えるようになった。
と言う伝承が残っています。(「ザ・たじま」但馬事典より)
青倉駅の名前の由来となった青倉神社。
青倉神社までの道中には神社にゆかりのあるものが今も大切に残されていました。
7km手前に大鳥居があることからはじまり、いくつもの謎について考えながらの散策は楽しいものでした。
また、駅から歩いて参拝していた昭和30年代にタイムスリップしたかのような気分になれる散策でもありました。