出石神社(但馬一の宮)

基本情報 マップ 類似コンテンツ 特派員の耳より情報(0)

<出石神社と天日槍伝説の概要>

○但馬国一宮・出石神社には、但馬開発の祖として天日槍が祀られている。
天日槍は新羅国の王子で日本国に聖皇がいますと聞いて渡来した。宇治川(淀川上流)から若狭に出て、但馬国に到り住み処と定めた。(日本書記)

○但馬に到る前に「播磨国風土記」では播磨で伊和大神と合戦をしたとし、「古事記」では逃げた愛妻を追って難波(大阪)に着いたとしている。豊岡盆地周辺では天日槍による湖沼開発伝承が多く残されている。(但馬風土記 但馬文化協会)

〔出石神社由緒略記〕
○天日槍は泥海であった但馬を、円山川河口の瀬戸・津居山の間の岩山を開いて濁流を日本海に流せば耕地を開き得ることを察し、鉄器を製作し、一大開削工事を行った。岩山を開削して泥水を海中に放ち、現在の豊岡平野を現出させ農業を興し、杞柳の栽培を教え、須恵器を製して殖産興業に功績を残し但馬耕地の基礎を築いた。

○三世の孫の清彦(古事記では六世の孫)の時、伝来した七種の宝物を天皇に召し上げられることになる。このとき清彦は「出石ノ刀子」だけは懐に隠したが、酒を賜るときに顕れてしまった。その刀子はやがて淡路島に到った。これが洲本市由良町石崎「ミサキサン」に祀られている。(但馬風土記 但馬文化協会)

○養父市大屋町に藤無山という山がある。ここで大国主命と天日槍が但馬の国をどちらが治めるかを決めるため、葛に石を結び、振り回して石の落ちた方を治めるということになった。2回目まではどちらも但馬の方へ飛んでいったが、大国主命が3回目に投げた石は出雲の方へ、天日槍の投げた石は但馬の方へ飛んでいった。それで天日槍は但馬を治めることになった。(ザ・たじま)

○天日槍の四世の孫田道間守(たじまもり)は、垂仁天皇の命を奉じて常世の国に「非時香木実(ときじくのかぐのこのみ)」を求めて旅だった。ついに求めて帰ってみれば、天皇は崩御のあと。田道間守は御陵に木実を供え、嘆き悲しんで死んだ。非時香木実はいまの橘である。田道間守は菓祖として中嶋神社(豊岡市)に祀られている。


○幟まわし(出石神社)5月5日
男子出生を祝う神社氏子の特殊神事で往古、天日槍命が瀬戸を切り開き同所を引き上げるさまを偲ぶ催しで、中学生たちが初節句を迎える家々を回り、門前で5本の幟を持ち、歌を歌い、竹法螺を吹きながら祝う。

アクセスJR山陰本線豊岡駅下車全但バス出石行き鳥居下車徒歩5分
出石神社(但馬一の宮)1
但馬情報特急
クリックで拡大
出石神社(但馬一の宮)2
但馬情報特急

■連絡先
但馬國出石観光協会 
TEL/0796-52-4806、MAIL/info@izushi.co.jp

マップ

特派員の耳より情報

一番上へ
サイドナビ
サイトマップ