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鉱石の道とは

生野(朝来市生野町)、明延(養父市)及び神子畑(朝来市神子畑)の3鉱山は、同じ鉱脈を持ち、一体的に事業運営されていました。特に、明治初期には政府による先進かつ大規模な鉱山開発が行われ、日本の近代化を築く一翼を担いました。

現在、この地域には、明治初年のレンガ積みの事務所、鋳鉄橋、一円電車の軌道等、当時の産業遺構を多く有しています。これらの産業遺産を“鉱石の道”として、遺構の保全整備、体験型ツーリズムの実施、学習素材としての活用等を検討しています。

鉱石の道の土壌
兵庫県のほぼ中央部に位置する養父市(大屋町)、朝来市(生野町、朝来町)は、昔から鉱山という共通の歴史を持つまちです。

朝来市の神子畑(みこばた)鉱山、養父市大屋町の明延(あけのべ)鉱山とともに、鉱床という位置づけの中で、大きくは生野鉱山として一体的な事業運営が行われ、鉱山産業によって地域が形成されてきました。

しかし、これらの鉱山は、昭和48年には生野が閉山し、最後まで産出を続けていた明延、神子畑も昭和62年にそれぞれ閉山しました。昭和35年には3町ともに1万人の人口を有していましたが、閉山とともに人口が減少し、平成12年の国勢調査では生野町5,077人、朝来町7,546人、養父市(大屋町)4,785人となり、地域の活力は低下せざるを得ませんでした。

確かに、人口が減少し、往時の活力はなくなっていますが、この生野、神子畑、明延は明治初期より、政府による大規模で先端的な鉱山開発が行われた地域で、まさに日本の近代化を支えてきた産業遺構が多数所在する地域でもあります。

鉱石の道の歴史
・明治元年、明治政府によってお雇外国人のフランス人コアニエが生野に派遣を命じられ、鉱山開発の調査を行った。

・生野鉱山の近代工場と洋風建築の建設が進められ、日本の鉱山開発の模範となるべくつくられた近代的な工場が明治9 年に落成した。

・坑道の開削が進んでくると工場までの鉱石の輸送や工場での産品を含む諸物資の輸送も増え、鉱石の道が形作られる。生野鉱山は、その積出港として飾磨港を付属させていたが、生野・飾磨間の精鉱や諸物資の運搬のために鉱山専用馬車道が修築され、明治9 年に竣工した。

・神子畑に優良鉱脈が発見され、輸送のために神子畑・生野間に専用輸送路が明治18 年に完成した。この輸送途上にあったのが、神子畑鋳鉄橋と羽淵鋳鉄橋である。

・明治22年に生野鉱山は皇室財産に編入された。

・明治29年に生野鉱山は宮内庁御料局から三菱合資会社に払い下げられる。

・明治33年に明延の鉱脈調査が行われ、明延鉱山が成長するにつれて、大正6年に神子畑・明延間に長大なトンネル工事が開始され、昭和2年にトンネルが完成し、昭和4年に明神電車が開通した。後の「1 円電車」である。

鉱石の道の史跡位置図
生野鉱物資料館
ムーセ居宅資料館 神子畑鋳鉄橋 明延鉱山学習館 史跡生野銀山・生野鉱物館

鉱石の道スポット 登録件数2件

神子畑鋳鉄橋

神子畑鋳鉄橋1
 神子畑鋳鉄橋は、現存する全鋳鉄製の橋としては日本最古のもので国指定文化財(建造物)です。 明治11年神子畑鉱山が再発見され、明治14年本格開坑以後、...
朝来市
朝来市
朝来市社会教育課 TEL/079-677-2116

ムーセ旧居・ムーセハウス写真館

ムーセ旧居・ムーセハウス写真館1
 ムーセ旧居は、明治4年12月ごろから翌年以降にかけて生野鉱山に建設されたであろう五棟の外国人宿舎のひとつであり、そのうちの一番館(二階建て)と二番館(...
朝来市
朝来市
ムーセ旧居・ムーセハウス写真館 TEL・FAX/079-677-1717 住所/朝来市佐嚢1826番地の1