但馬事典
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八木城

八木城跡(やぎじょうせき、養父市八鹿町八木)

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概要

八木城は八木集落の北側に横たわる城山、標高330mの位置にある山城です。本丸には9.3 mの石垣があります。鎌倉時代朝倉高清(後に越前朝倉氏を生み出す)の子である安高が、八木の地を分け与えられて地名を苗字としました。鎌倉時代の八木氏の館である殿屋敷、八木氏の氏神である赤淵神社に由来する赤淵、八木氏が戦国時代に使った土城、豊臣秀吉によって任命された別所重棟・吉治という二代の大名によって改修された八木城という四つの遺跡が、八木城として一括して国指定文化財になっています。城主の別所氏は、養父郡内で1万5千石を治めていましたが、慶長5年(1600)関が原の合戦に石田三成に与して、八木城は廃城になりました。

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豊臣時代に築かれた八木城

八木氏時代には本丸の石垣はなく、別所氏が八木城の中心部を現在に残るような石垣に改修しました。このため、本丸とその周辺部は、豊臣時代の改修といえます。

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南北朝時代の八木土城

八木城から200mほど尾根を奥に登ったところに土城があります。このような高い山の上に城を築くようになったのは、南北朝時代(1331年〜1391年)といわれています。

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殿屋敷地区(畑ケ中)

八木氏の初代は、源頼朝に仕えて鎌倉幕府(1192年〜1333年)の御家人となった朝倉高清の子、安高から始まる。1285年(弘安8年)に書かれた但馬国太田文によると、第4代八木泰家は鎌倉幕府から任命された地頭として養父郡八木庄、61町歩を治めていた。この時代の館跡が殿屋敷遺跡である。平成元年に発掘調査したところ幅5.8m、深さ2.3mの堀跡が35mに渡って見つかった。地頭館である殿屋敷をまもる堀と推察される。殿屋敷は約一町四方の正方形の土地で、殿屋敷の前には古市場という地名もある。他にも12〜14世紀にかけての中国製の青磁や白磁などの輸入陶磁器が数多く出土し、この地が養父市内で最も繁栄していたことが分かっている。
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赤淵地区(畑ケ中)

養父市八鹿町八木字赤淵には赤淵池がある。赤淵池は堤高4.1m、堤長80mある大きな池で、1835年(天保6年)に潅漑用水と防火用水を兼ねて作られた。この工事の時、八間四方の柱、茶臼、開元通宝が12貫(45kg)も出土したといわれる。村では不明となっていた赤淵大明神の跡と考え、池の傍に赤淵社を再興した。赤淵神社朝来市和田山町枚田にある神社が本社で、八木氏や朝倉氏などが本姓とする日下部一族の氏神である。

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国指定史跡

カテゴリ:遺跡・史跡・古墳


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