但馬事典

江戸時代

1603年〜1868年

但馬の主な出来事

1668年(寛文8)幕府、京極高盛を舞鶴の田辺より豊岡に移す
1716年(享保元)生野奉行を生野代官と改称する
1735年(享保20)久美浜に代官所が置かれ、但馬・丹後の幕府領を支配する
1751年(宝暦元)出石藩儒者桜井良幹、藩主の命により「但馬考」を著す
1753年(宝暦3)円山川市川を結ぶ近廻り通船が始まる
1775年(安永4)出石藩主仙石政辰、学問所(のちに弘道館)を開く
1784年(天明4)丹波職人が出石に製陶技術を教え、出石焼がはじまる
1787年(天明7)このころ円山応挙一門の大乗寺襖絵が完成
1799年(寛政11)このころ浜坂の市原惣兵衛、長崎職人を雇い入れ縫針製造をはじめる
1802年(享和2)大屋上垣守国、「養蚕秘録」を著す
1806年(文化3)伊能忠敬、山陰海岸を測量
1814年(文化11)伊能忠敬、播但街道を測量
1822年(文政5)出石藩、物産会所を開設して生糸専売をはじめる
1823年(文政6)豊岡藩、物産会所を開設して柳行李専売を強化する
1832年(天保3)村岡の旗本山名義問、明倫館を開設
1833年(天保4)豊岡藩主京極高行、藩校稽古堂を開設
1835年(天保6)幕府、出石藩家老仙石左京を獄門に処し、家政不取り締まりの理由をもって出石藩仙石久利の封地を削り、3万石とする
1843年(天保14)このころから特に異国船向け海岸防備が強化され、但馬海岸に砲台が築かれる
1847年(弘化4)池田草庵青谿書院を開設
1863年(文久3)生野の変がおきる

日本の主な出来事

1603年(慶長8)徳川家康が江戸に幕府を開く
1612年(慶長17)キリスト教をとりしまる
1635年(寛永12)参勤交代の制度ができる
1637年(寛永14)島原の乱がおこる
1639年(寛永16)徳川家光が鎖国を完成する
1639-年(江戸時代)五街道と東西航路が整う
1639-年(江戸時代)上方を中心に町人の文化が栄える
1687年(貞享4)徳川綱吉が生類憐みの令を出す
1716年(享保元)徳川吉宗が政治の改革を始める
1716-年(江戸時代)各地に新田が開かれる
1716-年(江戸時代)寺子屋が広まる
1716-年(江戸時代)蘭学がさかんになる
1787年(天明7)松平定信が政治の改革を始める
1789-年(江戸時代)国学がさかんになる
1833年(天保4)天保の大ききんがおこる
1841年(天保12)水野忠邦が政治の改革を始める
1853年(嘉永6)ペリーが浦賀に来る
1858年(安政5)各国と通商条約を結び、国を開く
1867年(慶応3)徳川慶喜が政権を朝廷に返す

関連項目

あ行
青谿書院青渓中学校赤渕神社(八木)
あじはら小径愛宕の火祭りアンチモン製造
生野鉱山生野鉱山社宅生野鉱物館
生野まちづくり工房「井筒屋」池田草庵伊佐の新田開発
石川の醤油出石お城まつり出石城
出石城三の丸跡出石だんじり祭り出石初午大祭
出石焼市川一二峠御廟
上垣守国ウスギ城歌長太神楽
円明寺大杉のざんざこ踊大屋
小野いも尾原の国道改修記念碑
か行
海上の傘踊り廻船川下祭り
甘棠亭北前千石船北前船航路図関係資料
北前祭城崎だんじり祭り旧小出医院
久斗文楽旧豊岡県庁正門葛畑コミュニティーセンター(演劇資料館)
葛畑土人形葛畑の木造青面金銅像及び童子・夜叉神像葛畑農村歌舞伎
黒野神社郡主神社玄武洞
コイ鯉料理コウノトリ
氷ノ山古市場米地峠の駕籠置き石
護念寺庭園
さ行
斎神社郷蔵郷宿
山陰海岸山名氏式内社
史跡生野銀山・生野鉱物館柴栗山の碑釈迦堂
釈迦堂(畑ケ中)ジャジャ山公園巡見使塚
神武必勝論進美寺相撲取塚
仙石左京千本杵餅つき
た行
隆国寺鷹野神社高屋焼
竹野港但馬但馬久谷の菖蒲綱引き
但馬国地図但馬鷹のはま記念碑但馬ちりめん
但馬南鐐但州生野銀山絵巻玉田寺
大乗寺知庵手辺座
寺内ざんざか踊り天台宗てんま
轟大神楽豊岡市立出石家老屋敷豊岡かばん
豊岡城
な行
中瀬鉱山奈佐節二方神社
猫崎半島
は行
灰吹銀日高夏祭り日吉神社
平尾家住宅広谷観音祭り弘道館
法雲寺ほそき神社
ま行
埋墓と祭墓の俗習円山応挙円山川
円山川の大保恵堤水琴窟三宅の阿弥陀如来立像
妙見スギ村岡山名明延鉱山
名草神社の妙見杉
や行
役行者像山師養父市立大庄屋記念館
ら行
力石龍満寺両松寺
蓮華寺(夏梅)